寓話
「『政(まつりごと)』と『祭り事』ってどおっすか」
「ああ、政治と祭事のモジリね、それ、イイ。祭りの流れをコントロールしつつ盛り上げる『男衆』。場が『盛り上がってる』のと『荒れちゃってる』のとではわけが違う。場が荒れたらシラけるから、楽しく盛り上がるように流れを作る。お上が上から監視して押しつけるんじゃなくて、内からコントロールする者ね。町内会で組織された安全な『市民祭り』も、まあ有りなんだけど、渾沌と活気に満ちた『祭』のほうが断然に面白い」
「そう考えるとガキ大将とか不良的な在り方と繋がってる感じっすね。もともと大衆の中から自然に出てきた存在で、ヤクザ映画の『健さん』みたいなストイックなタイプと、テキ屋の『寅さん』みたいな庶民的なタイプとか」
「そういえば、ヤクザと刑事は物語りの主人公にしやすい代表格だけれど、ヤクザ物は江戸時代からあるから、刑事物よりぜんぜん歴史がある。江戸時代からのだと歌舞伎の幡随長兵衛の色々な演目が有名ね。ワタシはまだどれも観れてないんだけど」
「国定忠治とか清水次郎長なんかは」
「そこらへんだと幕末から明治にかけて、講談とか浪花節で色々な物語りができたみたい。ワタシは昔、忠治の『赤城の子守唄』を錦糸町でやってた河内音頭で聴いた。次郎長物はたしか講談で聴いたことがある。あと、別の物語りで『河内十人斬り』っていう実際の事件が下敷きになってるのがあって、これは河内音頭のカセット持ってる…」
「ハハハッ、河内音頭に浪曲っすか。カヲルさん、なんか渋いっつかヘンな趣味っすね、それ」
「ウルサイなぁ、悪い? で、だいたい実在の人物がモデルなんだけど、史実は別にして物語りでは皆、『庶民の味方』的な英雄として描かれてるんだよね。むしろ役人とかの体制側のほうが悪役だったりする。あと江戸時代の幡随は『町奴』っていう町人集団の頭領で、『旗本奴』っていう旗本集団と対立してるんだけど、どっちもヤクザなんだよね、これが…」
「つまり、体制側と反体制側が両方ともヤクザなんっすね」
「うん。現代の区別とはかなり違ってる」
過去には渾沌を循環させ、流れを調節する者が社会に必要とされていました。けれどもそんな「カオス的な秩序」は成立しなくなったのでしょうか。今は、どこからかもたらされる秩序や「商品」と「消費文化」はあっても、いわゆる庶民による『大衆文化』は育たない社会。もうわたしたちはそのような古くてややこしいものは、必要としなくなってしまったのかもしれない。
いつからか庶民は自由と秩序を秤にかけて、秩序を選んだ。ヤクザは、庶民から変化し「市民」となった人々と決別し、国家とは別の権力を求めて「暴力団」となった。けれどもカテゴライズしあてはめた対立構造は、後から作り出されたものでしかない。そしてそれは、わたしたちがそう望んだからではないだろうか。わたしたちは表玄関では「秩序」を歓迎し、どうにもならない「自由」への欲求を裏口からコッソリと招き入れる。なんだか都合がいいみたい。問題なのはなぜそのような対立構造の中にわたしたちはあるのか、ということ。
「ヤクザ」は或る種の生き方を表わす理念が、特定の集団を表わす語として転用されるようになった言葉。そして現在「暴力団」としてカテゴライズされるようになった集団の起源にはさまざまな説がある。私なりの理解として、それは明治期以前の日本の国家体制を、本来とは逆転させて見た場合の構造と深く関係があるように思えるので、多少乱暴だけれども整理してみましょう。
江戸期までの日本の統治構造は、まず各地域の個別集団があり、その上にそれらを統合する専制政治集団によって統治されていた、とみてみる。西欧の統治体制は一元化された理念と道徳に基づく統一的システムを理想とするが、江戸期までの日本はそれと異なり、理念や道徳がそれぞれ違う個別集団が多元的に存在し、それらが場合によって接続したり離れたりする、離接的な構造を形成していた。次にその複雑な下部構造の上部に、全体を総合的にコントロールし、専政を行なう君主とその政治集団が形成されていた。専政といっても曖昧な部分も多く含む統治なので、各時代ごとにさまざまな様態をもっていた、と。それは「律令制」から「荘園制度」そして「幕藩体制」と変化しても、領地分配を基礎にした封建的国家体制の下で常に変わらず維持されてきた。そしてヤクザは日本のマクロな国家体制と同じ構造を持っていたミクロな社会体制がその起源ではないだろうか。
まず一つは各地域社会の有力者を中心とする自治、自警集団が在り、彼らは各地域社会体内部の存在で、上部の政治集団と繋がりはあっても自ら権力を分かち持っていた。そしてもう一つは地域社会体外部の存在で、娯楽などを扱う「博徒」「的屋」「遊廓」「芸能」などの集団。彼らもまた離接的で複雑な相互扶助構造を形成していた。当然、この二つは社会体の内と外を横断しつつ結びついていたでしょう。
日本が明治以降西欧の社会システムを導入し近代化する中、それと矛盾するような社会体制は、マクロ的にもミクロ的にも修正されていった。そして最終的にヤクザは「淘汰されるべきもの」の象徴として囲い込まれた存在、または近代化という仮面の下でうごめく潜在性から再起してくる存在となった。
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