階級
早大正門を少し見物してから神田川を渡り、椿山荘裏手の遊歩道を川沿いに進み、江戸川公園の急な階段を昇る。そこから住宅街を抜けて音羽通りを護国寺方面へ。護国寺で突き当ったら不忍通りを右に。春日通りに出たら左に進めば大塚に着く。二人ともこの辺りは土地勘があるので、散歩しながらテクテクと目的地を目差します。
「今回の事件で、ちょっと気になったから『東京の下層社会』(紀田順一朗著、ちくま学芸文庫)[★1]を読み返したんだけど」
「ああ、あの本。ん? でも今回の事件となんか関係があるんっすか?」
「いや、マックって欧米とかだと、はっきりワーキングクラスの食べ物ってなってるからさ。でも見え辛いじゃない? 日本だと」
「階級が、ですか? たしかに曖昧っすね」
「この本読むと明治・大正時代と今って、そんなに変わってないような気がして」
「え〜っそんなことないっすよ。だって今の東京にはこの時代みたいなスラム街なんてないし」
「ん〜それは『見えない』ようになってるだけで、構造っていうか様態は変わってない気がする。この時代、東京に約30万人ほどの細民が発生(ちなみに当時、東京の人口は約200万)して、お金もないし食料も足りないから、低コストの安い食物が大量に求められた。そんな中で『残飯屋』っていう商売が発生した。今から見るとヒドイ話かもしれないけど、そういうモノが必要とされてた。陸軍や大学などの大規模施設では日々大量に出る残飯の処理に困ってたから、需要と供給が一致してて、そんな施設周辺には必ず大きな貧民街ができてた。今はなくなってるけど。でも現在のわたしたちもなんだかんだ言って『低コストの安い食べ物』は必要としてる。それ(階級)は見えなくなったっていうより、様態がリゾーム状に複雑になって把握し辛くなっただけじゃないかな。各地で発生してる『食品偽装問題』を見てて、例えば『期限切れの売れ残りを再利用した』となると、それって明治時代の『残飯屋』とあんまり変わらないんだよなぁと」
「それは言い過ぎっすよ! 人の食べ残しを使ったわけじゃないし、そんなこと言っちゃイケナイっす!!」
「まあまあ、そんなに敏感に反応しないでよ。でもさ、本来は破棄するものを使ってしまったんだし。ま、もっと『残飯』についてヤワラカクしてみると、例えば親しい間柄だと『食べ残し』って食卓なら普通にやり取りするし、翌日でも食べたりするよね。つまりまだ『食べられるモノ』。でも、それが移動して他者に届く、つまり流通した場合は『ゴミ』に変貌する。で、『ゴミ』を食べたり、食べ物として売ったりなんかしたら倫理上重大な問題になる。今、世間を騒がせてる問題は、お腹をこわしたり体調を崩した人はまだいないから[★2]、内容物の毒性を問題にしてるんじゃなくて、あくまでシール貼り、つまりイメージとか倫理上の問題。だから食品に関する仕事って、現場では意外に高度なジャッジが要求されてる」
「自ら期限を設定して、それをまたぐと『食材』が『ゴミ』になる、と。たしかにチョット難しいっすね…」
「本来、アルバイトや社員に要求される話じゃないと思うけど、油断すると勝手に罪をナスリつけられる。そういう意味で、ミクシィで炎上した彼の行動はよけいにマズい。弱い立場をさらに悪化させちゃう」
「とすると倫理観としてはどうするのが正しいんすかね」
「いや『どうあるべきか』っていうより、自己防衛のためには『どうなっているか』を見て『どうするか』かな。作るにしても買うにしても、『自分の家の台所と距離が離れたぶんだけ危険度が増す』[★3]と」
「なるほど、つまり『家の台所イデー』っすね」
「うん。例えば、外食なら行きつけの惣菜店とか馴染みの店主が作った料理しか食べないようにする、っていうのは家の台所イデーに近いものを探すことだよね。『客だ』とか『アルバイトだし』っていう考えは、逆に家の台所イデーから離れてしまう考えだから危険だといえる」
「でもその我々がいままさに危険な行為を…」
「フフフ。これは『自らの人体実験』という自己犠牲精神なのよ」
[★1]
紀田順一朗『東京の下層社会』(ちくま学芸文庫)。明治・大正・昭和初期に出版された貧民街への潜入リポート各種を基に、戦前の東京各地に約30万人ほど存在した細民達の生活実態や貧民街発生の構造を明らかにしている。格差社会化が問題となる中、現代を反転させた鏡像として、日本社会が陥りやすい罠を明示した重要な参考書。ここでは『食品偽装問題』に関連する『残飯屋』の実態について、多くの記述を参考にした。ただし「残飯」を主として、現代では考えられない凄まじいジャンクフードのオンパレードだが、不思議とお腹が減ってくるという奇妙な書物。また「発酵した旨味」が持ち味の食品がどのように成立し出来上がったのかを知ることも。
[★2]
取材時点ではまだ08年の中国からの輸入冷凍食品の食中毒騒動、いわゆる『毒餃子事件』は発生していない。また『船場吉兆』の残飯流用も発覚していない。今から思うと船場吉兆の事件は、女将のささやきを面白がるより、鼻持ちならない成金や社用族に一杯食わせたという意味で、喝采をおくるべきだった気もする。
[★3]
ちなみに「食」は「国家」や「民族」と直結している。「民族の固体差=国境」とは究極的には「食物と疫学(水)」だろう。これをめぐって「集団化」や「争い」を発生させていたし、生物学的には遺伝子レベルでの差異を生むほどのものでもあった。しかし地球規模の「グローバル化」という運動によって、それらの様態は混ぜ合わされ複雑化した。つまり国家や民族は食によって脱領土化し浮遊する存在になったといえる。前述した『毒餃子事件』はこの問題の難しさを顕在化させた。
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