『遠足』08_06

のようなもの
   我々は新宿に移動し、数年前に飛び降り自殺があった京王プラザホテルに少し寄り道。ここでも過去に何回か飛び降りがあったようだけれど、巻き添えは出ていない模様。京プラは西新宿で最初に建てられた老舗の高層ホテルで、さまざまな小説や歌謡曲の舞台になっていたりと、密かなファンも多い。京プラ側から新宿駅の京王百貨店に向う道は、「本当はこっちを新宿の表玄関のつもりで造ったのに…」とでも言いたげな風景。実際、そうした目的で都市計画が進められたかどうかは、知りませんが。
   さて京王百貨店の屋上では00年の5月に事件があった。ここは池袋西武よりも親子連れで賑わっています。こぢんまりした造りだけれど、ペットショップにガーデニングショップ、ミニ電車にカートなどの遊具もある小さな「屋上遊園地」。店員にお社の場所を聞いて参拝する。
  「最近は屋上遊園地も衰退の一途で残念だけど、ちゃんと生き残ってる所もあるんだね」
  「まあデパート自体が営業形態として旧くなってるっすからねぇ。今は百貨店っていう一点豪華主義より街をまとめて再開発しちゃうか、郊外のアウトレットが流行りっすから」
   次に06年7月に事件があった新宿駅南口のタカシマヤタイムズスクエアへ。そこへと至る参道、新宿サザンテラスには宮崎のアンテナショップやスターバックスがあり、少し前に話題になっていた東京土産クリスピー・クリーム・ドーナツにはまだ大勢の人々が並んでいます。タイムズスクエア13階の「屋上庭園」にもやはりお社が。他のデパート屋上と比べると小洒落た雰囲気。小さな池には水が流されている。
   タイムズスクエアもそうだけれど、東京で次々と再開発された新名所や人気スポットは、それができることで利便性が高まり街が発展するといった合理的な目的よりも、何か「有難いモノ」「御利益のあるモノ」として詣で参拝する神社みたいです。お台場はどうか、六本木、表参道ヒルズは、新丸ビルは、東京ミッドタウンはどうか。それらができて「パッと明るくなった」とか「素敵」と感じても「便利になった」とは思ったことがない。中沢新一の『アースダイバー』(講談社刊)によると、東京という都市の造られ方は、古代から地下に潜在する霊的な場の顕在化であり、西欧合理主義的な都市計画との違いが指摘されている。もしかしたら、わたしたちが新しく建てた「神社に似た遊興施設」に鎮めている神々は、「西洋」とか「欧米文化」なのかもしれない。新名所に詣でる参道で名物品を土産に買い、境内に入ったら「ブランド」という有難いお札を購入する。
   そして、再開発された新名所が大きな神社だとしたら、デパートやその屋上は、江戸時代の庶民に愛され、至る所に築かれた娯楽施設『富士塚』に似ている。本物の富士山に登るのはシンドイからミニ富士を築いて登る。一合目から九合目の石碑を建て、参道各所に小さなお社を設ける。頂上に登ると自分が暮らす慣れ親しんだ街並が見渡せて、ちょっといい気分。そういえば取材したどのデパート屋上にも必ず小さなお社がありました。わたしたちの「神々」はいたる処に在り、わたしたちはその存在に叡智を求めるのではなく、祝祭的なものを感じている。そして「死」は「滅びの美学」などではなく、知覚されえない「混沌」として、おそれ祭るものなのでしょう。
   或る人は自分の傍らのそうした存在にふと気づき、発作的に常識を疑い、突破したくなる。それを飛び超えてしまった彼らの失敗は、あまりにも常識というモノを信じ過ぎていた、ということなのかもしれない。

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