『遠足』10_03

莫迦
  「この事件を見てて或る理論を思い出したんだけど」
  「どんなんっすか?」
  「ひとつの言葉にはパラドキシカルな意味がある。『私はバカだ』と語る人をそのまま『バカ者』と捉えるか『謙遜する人』と捉えるか、はたまた『自分の無力を主張するバカ者』と捉えるか。他にも発言場面によっては、こ難しい会話に対する皮肉とも考えられる。逆に『天才だ』にもイロイロある。子供の頃は言葉の意味をそのままに受け取り、傷つきそして失敗しながら裏の意味や深さを徐々に知ってゆく。時には皮肉も覚えて可愛くないクソガキになったりもする。これが或る種の場合、閉じられた環境、特殊な親子関係、例えば一方的で服従的な親子関係では、子供は意味の多重性や深さをうまく学ぶことができず、言葉の表層しか受とらない極端に論理的な子供に成長する。その子供は将来、或る種の精神疾患を発病しやすくなる」
  「それ、ベイトソンのダブル・バインド(二重拘束)ってヤツっすね」
  「うん、大雑把な説明でアレだけど。経緯を見るとこの少年の思いと周囲の受けとめ方にはかなりズレがあるようだし、『侮辱するな!』と叫んでいたり、犯行直前に『先生に叱られ、母親と口論になった』と話してる。この状況はダブル・バインドに見えたりするよね。もし病気の原因が『勉強すること』そのものだったとしたら、彼にとって治療することと競って勉強に励むことは、相容れない矛盾した指令になる。先生はともかく母親にまで勉強のことで叱責されたら、そうとう混乱してしまうんじゃないかな」
  「そういえば『助けてくれー!』とも叫んでいたらしいっすね」
  「人を傷つけながらね。な〜んかさみしくなっちゃう…」
   学校ではもろもろの等しさと正しさを学ぶと同時に、もろもろの違いと差を知ってゆく。「私には何ができるだろう?」とイロイロやって失敗したりする。そして私たちはそこを通過するとき、手際よく峻別されそれぞれに相応しいとされる道に割り振られてゆく。「ちょっと待って」と思っても周囲の人々は待ってくれない。勝者になりたければ何かを理解する前に要領の良さが必要で、ブランド力のある大学に進学し、地位の高い職業を選ぶのが良い。立ち止まって「けれどもボクはナンにもわかってないんだ!」と叫んでもダメなのです。教える者らは皆一様に「何者かになれ」と要求します。そしてその「何者か」の中身は「主人であり奴隷でもある」という矛盾した二重の意味が含まれている。
   たいていの子供はそれでも上手くやってゆく。でも、中には砕けてしまう心もある。『ライ麦畑』のホールデン君や『ペット・サウンズ』を創った頃のブライアン・ウィルソン青年みたいに。

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