装置
さまざまな要因で起こる別々の犯罪事件をひと括りにはできないのだけれど、どこかしらの類似が見えます。
まず、或る犯行を行なった加害者は一様に或る種の「敗者」もしくは「貧しき者」であり、本人もそれに自覚があり現状に不満を持っていたこと。けれどもその怒りは自分を敗北させ貧しくさせた原因に向かうのではなく、身近な家族や恋人、または一方的に思いをよせる、もしくは自分の境遇に気づいてくれない他者などの対象に向けられる。
次に、いくつかの線に別れた反復があること。とりあげた取材例で見ると「性暴力の突発的で強力な発揮(による殺人)」「銃(殺傷兵器)使用の一般化」「家庭内分離(対立)の深化と遺体の分解」「食品流通の複雑化(偽装)による生産者と消費者のかい離(そのグローバル化)」「自殺における自己表現のポップ化と共同化」「犯行目的と対象の置き換え(無差別化)」といったところ。
そして、起った事件は次に起る事件の先触れとなり、エスカレートすること。原因と結果に至るスピードと、類似した系列の反復がスピードを増し、まるで出来事のスイッチが入ったら可能な限りプロセスを簡略化して、事件が任意の情報へ落ち着くのを望んでいるかのよう。場合によっては原因を省き、結果だけが目的として遂行される。スムーズでシステマティックな「事件装置」とでもいえそうです。さらにつけ加えると、その装置は一つの部品として機能し横断的な接続をする。例えば「性暴力の発揮として殺傷兵器を使用した無差別殺人という公開自殺」といったように。
そのように見えるのは、事件報道がそのような分類に偏る傾向があるのか、それとも報道などによって犯罪を模倣する者が増えたのか。またはわたしたちの社会がそのような分類に偏って注目する傾向があるのか、わたしたちの社会にそのような潜勢力があるのか。もちろん私の題材の集め方にも一定の傾向があります。けれども先に述べたように、取材を開始した時からなんらかの結論を立てて、それにしたがって題材を集めたわけではない。
なぜだかわたしたちは無意識にそうしているようです。
わたしたちの住む街には目に見えない持続的な力があり、その力は地雷として道端に埋められ、密かにそして虎視眈々とわたしたちを待ちかまえているような気がしてくる。それを踏むと、人は否が応でも負のスパイラルに落ち込み、なんらかの犯罪の加害者もしくは被害者になる。条理的な表象の世界から、ストンと不条理な混沌の世界に落ちる。
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